静岡市の地場産業は、徳川三代将軍「家光公」によって静岡浅間神社が造営された際、全国各地から名工が集められ、その優れた技術が幾世代にもわたって伝承され、以来今日まで、長い歴史と伝統の中で多くの人々に育まれ地域経済の中心として発展してきました。

静岡特産工業協会は、このような地場産業における横断的組織として、昭和46年8月12日に発足し、めまぐるしく変化する経済社会環境の中で、業界の発展のために技術の伝承、人材育成、特産品のPR等を始めとして、地域産業が直面する諸問題に対し、積極的に取り組むなど静岡の整業界の中核的組織としての役割を担ってます。

今後も静岡市の伝統工芸品を守り発信し続けるのが、わたくしたち静岡特産工業協会の役割であると考えております。皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。


静岡特産工業協会会長 本多秀一郎


静岡の伝統工芸の始まり

海、山、川などの自然に恵まれた静岡市は、気候も温暖でとても住みやすい町として知られています。 また、弥生時代(約1800年前)の遺跡「登呂遺跡」から、多くの人々が住み着いていたことがわかってます。 このように、静岡市は昔から政治や経済の中心となっていました。 静岡市の伝統工芸は、この歴史と自然に恵まれた土地柄から生まれたことがわかります。

静岡が駿府と言われていた今川時代(約470年前)には、お椀などの漆器が作られていたことがわかってますが、産業としての基礎ができたのは、江戸時代(約370年前)になってからだと言われています。 駿府城や静岡浅間神社を造営するために、全国から大工、彫刻、漆などの職人達を駿府(静岡)に集めました。 この職人達は、駿府の気候や自然を好み、そのまま住み着くようになりました。

そして、自分達の技を磨きながら、土地の人々に得意な技術を教えたのが「静岡市の伝統工芸」の始まりです。

初めは食器類などに漆を塗ったものでしたが、経験と技術がすすむにしたがっていろいろな製品がつくられるようになり、 慶応3年(1867年)にはパリで開かれた万国博覧会に出品するなど、外国にも輸出するようになりました。 このように、静岡市の伝統工芸は漆器から始まり蒔絵や塗下駄などの産業が次々と起こりました。

静岡県知事が指定した「郷土工芸品」は現在9品目(静岡県では19品目)あり、古い歴史をもつ産業の町であることがわかります。


静岡特産工業協会概要

協会名

静岡特産工業協会

所在地

〒422-8006  静岡県静岡市駿河区曲金3-1-10

電話番号

TEL:054-281-2999  FAX:054-284-1070

代表者名

会長 本多秀一郎

業種

静岡市伝統工芸品の振興、販路開拓


静岡特産工業協会加盟組合


静岡の工芸品

駿河竹千筋細工

静岡は、昔から周辺に良質の竹を産出し、「駿河細工」と称され、竹製品が親しまれてきました。
天保年間に岡崎の藩士である菅沼一我が静岡に立ち寄り、現在の駿河竹千筋細工の技術・技法が伝えられました。その後、竹千筋細工の花器・虫篭などが作られ街道を行き交う旅人に売られていました。
駿河竹千筋細工は、一般的な平ヒゴを編む技法と異なり、丸ヒゴを組んで作る技法が特徴で繊細優美な製品に仕上げます。花器・菓子器・盆・行灯などが作られています。
また、昭和51年に静岡県で初めて通産大臣(現 経済産業大臣)から国の伝統的工芸品に指定されています。

駿河雛具・雛人形

静岡が雛具の全国的な産地として地位を築いたのは大正12年頃です。関東大震災により罹災した東京の職人が静岡へ移り住み、雛具業界は活況を呈しました。 一方、雛人形は江戸時代に志太郡の一部で天神様が作られていましたが、静岡市で雛人形が本格的に作られたのは昭和の初め頃です。 昭和 67年に人形師を招き、技術を導入し本格的な生産が始まりました。 こうして発展を遂げてきた静岡の雛具・雛人形は、増大する需要に対応して、昭和30年代後半からプラスチック製のものが出現し、量産化が進みました。
しかし、最近では再び木製の良さが見直され、静岡の指物・漆器・蒔絵などの伝統技術をいかした良い商品がたくさん作られ、全国でも有数の産地となっています。
平成6年に通産大臣(現 経済産業大臣)から国の伝統的工芸品に指定されています。

駿河漆器

駿河漆器は、江戸時代に浅間神社造営のため、 江戸をはじめ全国各地から集められた漆工たちが、造営後も住みやすい静岡に残り、技を磨くかたわら土地の人達に漆芸技術を教え広めたことが始まりです。明治・大正時代に入り、 輸出が盛んになるにつれて、いろいろな変り塗りや蒔絵付きの製品が開発され、輸出漆器の一大産地となりました。戦後は、家具産地の隆盛とともに漆工たちの大半がラッカー・カシューなどの洋塗装に変わり、産地の規模も小さくなりました。
 駿河漆器は、金剛石目塗・蜻蛉塗・珊瑚塗など多彩な塗りに特徴があり、主な製品としては、重箱・椀・花器・菓子器・アクセサリーなどがあります。

駿河蒔絵

駿河蒔絵の始まりは、文政11年(1828年)に駿府に住む漆塗師中川専蔵が蒔絵技術を修得し、漆器にとり入れたのがきっかけであるといわれています。 この時から、現在見られるような花鳥草木が描かれてきました。
蒔絵は、漆面に金・銀・錫粉をまきつけたり、卵殻や貝を貼って加飾します。 静岡の蒔絵は、絢爛な消粉蒔絵を得意とし、デザインの斬新さと変り塗の多様さが相まって、特色ある漆器産地として静岡の名を高める源となっています。
この蒔絵技術を用いた製品には、硯箱・盆・文庫・宝石箱・かんざしなどがあります。

駿河塗下駄・張下駄

江戸時代、静岡は東海道の中心として各地の流行がそのまま伝わり、履物もいろいろな履物が作られていました。
塗下駄は、明治時代に本間久次郎氏により漆塗りの下駄が考案され、 また大正時代に輸出漆器より転換した職人たちにより、さまざまな創意工夫がなされて発展を遂げました。そして高級塗下駄といえば静岡といわれるほどの最盛期を迎え、全国各地の履物問屋へ出荷され 、現在も全国1位の座にあります。
一方、張下駄は、明治時代に下駄の表面に桐の柾経木を張ったものが作られたのが始まりと言われています。現在、布・和紙などの様々な素材を張り分けや型抜きなど多様な技法を駆使して、個性的な下駄を作り続けています。
塗下駄・張下駄ともに、戦後 の生活様式の洋風化に伴い需要も減少し、実用的な中にも趣味性の強い商品となっていますが、伝統を受け継ぎながら品質の向上に努力しています。

指物

駿河指物は、江戸時代に駿府城・浅間神社造営に際し、全国各地から集められた大工などの名工が、造営後住み着き木工技術を広めたことが契機となったといわれています。
静岡の産業となったのは明治の中期頃で、当時静岡では国内外向け漆器製品が多く作られ、この木地の製造を指物師達が担っていました。この木工指物技術が基となって静岡を全国有数の家具産地に発展させる原動力となりました。
駿河指物の特徴は、雅な京指物と粋で淡白な江戸指物の良いところを受け継いでいます。主な製品としては、茶道具・文庫・飾棚などがあります。

静岡挽物

挽物は、轆轤(ろくろ)を使って木を丸く加工して作る製品をいいます。 静岡挽物の技術は、江戸時代末期に静岡の銘木商が箱根の挽物師から教わり、下石町で開業したのが始まりといわれています。戦後、米国向けにコショウ挽きなどが大量に輸出され、現在のような産地に発展しました。
手挽き轆轤で一品ずつたんねんに仕上げてゆく工芸品に加え、機械加工による量産が得意な産地です。
主な製品は、コショウ挽きなどの食卓台所用品・文具・玩具などや雛道具部品・家具部品・建築用部品などで、さまざまな産業に関わりを持っています。

駿河和染

静岡市には、紺屋町など染色に由来する地名が残っているように、古くから染めものが盛んに行なわれていました。 大正後期に起こった民芸運動の中で、芹沢銈介氏のデザインと地元染色職人の技術との出会いが、静岡における新たな和染の興隆となりました。
静岡の染色は、多くの先人達の伝統技術によって育てられ、藍と白の素朴なコントラストの中にも力強さと単純化された美が生かされています。 主な製品としては、着尺・のれん・帯・テーブルセンター・風呂敷・テーブルマット・壁掛けなどがあります。

井川メンパ

井川メンパの起こりとなった井川の曲物は、鎌倉時代から作られていたといわれています。江戸時代末期になるとそれまでの山村農民の生活用具から井川の曲物に漆塗の技術が加わり、現在の井川メンパが誕生しました。
井川メンパは、桧のうす板を丸型や小判型に曲げて継ぎ目に桜の皮を使い、生漆を塗って仕上げたもので、素朴さと丈夫さが特徴です。

賤機焼

江戸時代初期の創始といわれ、徳川家康公から賤機焼の称号をもらって御用窯として栄えました。一時廃絶しましたが明治中期に再興されました。以後、改良を重ねながら受け継がれ、市民に愛されてきました。
鉄分を含んだ陶土による素朴な味わいの暖かみのある花器・酒器・茶器などが作られています。